Aug 27 2015

熊本市景観審議委員になったぜ

かつあきデザイン熊本市すごいなー。
国保年金課のロボリーマンのポスター起用も焦ったけど、僕みたいな三下野郎を景観審議委員に選んでくれるなんて。
任期は2年なので、その間熊本市の景観に関する悪口は僕の方までお願いします。日本の都市景観とかって、まぁボロカス言われる分野で、僕なんかも無責任にボロカス言ってた口なのですが、もういい年だし、愚痴ばっかり垂れるのも飽きたし、それならボロカスに言われる方に回ろうと思い、公募委員に応募したのでした。
レポートはアレックス・カー氏の「ニッポン景観論」と赤瀬達三先生の「駅をデザインする」とタイプディレクターの小林章さんのブログなどから事例を引いて書き上げた。面談では5人くらいの面接官のみなさんが暖かく僕の話を聞いてくれた。「まぁ、無理かなー」と思っていたら、写真の手紙が届いたのだった。やったね。

ニッポン景観論

ニッポン景観論/何かイラッとくるとこもあったけど概ね同意。

駅をデザインする

駅をデザインする/公共空間のデザインを一定の水準まで押し上げるのに何十年もかかる大変な作業だということがよくわかる本。僕は感動した。

熊本市は桜町・花畑周辺地区を中心として「100年の大計として、再デザインに取り組んでいる」真っ最中らしい。僕が2010年に引っ越してきた熊本は、僕が高校生の頃に高速バスで遊びに来ていた熊本とあまり変わっていなかった。それがここ最近大きく変わろうとしている。過去の議事録を読むと、景観審議もその辺が議論の中心になっているようだ。
個人的にも「景観」とか「デザインの成り立ち」について調べ物していることもあり、自分の興味にも合致しそうなのでまさに渡りに船。

愚痴をやめたら、次はありがちな「べき論」に陥らないようにしないといけない。そんな時はこういう本が役に立つのだと思う。

スケートボーディング、空間、都市―身体と建築

スケートボーディング、空間、都市―身体と建築

スケートボーディングは地域的{ローカル}であって、基本的にストリートのミクロ空間と関わるものでありながら、同時に全世界に広まって増殖している行為でもあり、世界中の何千万もの人々がおこなっている。
それは現代の街の物的な建築に呼びかけるが、今ひとつの別の対象としてではなく、動的{ダイナミック}な存在として応答する。体系的にはほとんど何も述べないが、並外れた広がりをもつ言明と意味を無言のうちに提示する。空間を生み出すが、それだけではなく時間と自己をも生み出す。
スケートボーディングは絶えず抑圧され規制されてきたが、拒否的な破壊によってではなく、創造性と欲望の生産によって対抗する。歴史をもつが、それには無頓着であって、現在とすぐ未来の即時性を好む。道具(スケートボード)を必要とするが、それは身体と一体化される。大いに努力が必要だが、交換のための商品は何も生産しない。高度に視覚的だが、単なる映像のスペクタクルに堕すことは拒絶する。郊外で始まったが、都市の葛藤の中核であるダウンタウンにやって来た。
子供の遊びのように見られるが、多くのスケートボーダーにとって、これは、完結した、もう一つの生き方に他ならない。したがって、スケートボーディングは、物としての建築ではなく、空間・時間・社会的存在の生産としての建築なのである。
 
スケートボーディング、空間、都市―身体と建築 抜粋

イエス!

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